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2016.01.12
24's BLOG

LOSTのシェイパーマット“MAYHEM”バイオロスのインタビュー記事をご覧ください。

WSLのWEBサイトに掲載されていたLOSTサーフボードのシェイパーマット“MAYHEM”バイオロスのインタビュー記事を翻訳しましたのでご覧ください。

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マット“メイへム”バイオロスがシェイピングの世界に入って30年近くになります。

バイオロスは、ハービーフレッチャーのもとでサーフボードのサンディングをし、その後、世界でもっとも大きい1つと今では世界で認められるサーフボード会社の1つLost Surfboardを立ち上げました。バイオロスは、クリスワードに有名にさせられると確信していたが、WSL(ワールド・サーフィン・リーグ)のストライダー・ヴァシレフスキが彼のボートと共に表紙を飾って有名に。今日の“メイヘム”ボードに乗るスターサーファーラインナップは『3回のワールドチャンピオンのカリッサ・ムーア』『テイラー・ライト』『ホーファミリー』『コロヘ・アンディーノ』達です。
2015年のウイメンのツアー10イベントのうち、4イベントはバイオロスがシェイプしたボードを使用した選手の勝利となった。年月を経て進化するように、彼の焦点は、彼のビジネスのマーケティングと開発に向けられていくようになった。サンクレメンテに3つの施設、シェイピングウエアハウス(倉庫)、グラスショップ、そして品質保証するシェイピング工場がある。

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多くの世界の有名シェイパー達とは違い、バイオロスは今でもシェイピングルームに入り、自ら手を汚し、ボードを改良している。1年間で10~15回、バイオロスは彼の原点に戻る時間を作る。またカスタムオーダーを受けるために7ヵ国へ渡り、それら地元のサーフショップに顔を出し、地元のサーファーと話し、彼らが必要とするベストなシェイプを見つけ出してあげるのである。(日本にも来ましたね!)

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Daniel Jenks:どのようにシェイプに落とし込むのか簡単に説明してもらえますか?あなたの原点は何で、何に興味があるのか?

Matt Biolos:私は典型的な南カリフォルニアで80年代に育った一人です。スケートボードやスノーボードをして育ちました。実は、1983年、14歳になるまで、サーフィンには興味を持っていませんでした。高校生の間はずっとサーフィンをしていましたが、周りのサーファーのように競い合うことをしていませんでした。私にとってサーフィンは、釣りやスケボー、セーリング、そのようなスポーツの1つでしかなかったのです。一度もサーフィンにだけに焦点を当てたことはありませんでした。しかし、私が高校生の時、船着き場(港)であるダナポイントでボードのメンテナンスや掃除のアルバイトをして、多くの時間を船の上で過ごしていました。海面の上に乗って働いているが楽しく感じ、海面と自分とのバランス関係を理解し始めたのです。そして高校を卒業した1週間後、私はハービーフレッチャーのお店で働いていました。なので、この仕事を今まで一度も辞めていないようなものです。彼ハービーは私の人生のきっかけ(catalyst)のような人で、私は今も、28~29年間その仕事をやり続けています。

DJ:サーファーがあなたの所へ来る前にだいたい何本くらいシェイプするのですか?特別なディメンションや感触を求められ、どうシェイプに落とし込むのですか?

MB:何年も経つうちに自信を持ち始めるものです。クリス・ワード、コリー・ロペス、そしてシェーン・ベッシェン時代までは自信を持ち始めるということはありませんでした。90年代後半くらい、まさにその時、私の技術が非常に上達し、身に着いてきていると確信した時です。世界のトップサーファーの数名にボードを作っていたら、俺はできる!と確信するようになり、その瞬間が自分の基準となるです。グラスの仕上がりが如何に良いかよりも、パフォーマンス性を考慮して何が必要かを識別できるようになるのです。

DJ:自分の経歴を振り返ったとき、あなたが作ったボードだ。と思わせてくれるボードに乗っているサーファーはいますか?

MB:フレッチャー兄弟のところで働いていた最初のころ、ストライダーがパイプを抜けて有名になりました。が、実際に私を有名にさせたサーファーは、クリスワードです。疑いなく彼がそのサーファーです。彼が15歳くらいのころ、彼のビデオでの活躍は素晴らしかったです。

DJ: サーファーひとりひとりのボードをシェイプするためにカギとなる要素、CLに注目した最初の人物の一人があなただと思っています。

MB:サーフボードのCAD(Computer Aided Design)をデザインした人物が最初の人物で、彼が私にボリュームに注目するように教えてくれたのです。

DJ:なにを見つけましたか?何を開発しましたか?

MB:主に体重に対する比率を学んだのが最初です。2000年初期、トップ10入りしていたシエイ・ロペスと正しい知識をベースに議論をしました。彼はその当時、親友のひとりで、私のボードを見てこう言いいました。「お前が乗っているものは太った怪獣だな、ボートみたいだ」そして、私が言ったのは「えっと、お前は150パウンド(70kg)のプロアスリート、私より6~8歳若い、私は210パウンド(95kg)で、平均レベルのサーファーで、お前より年を取っている。また、私も波乗りはする、人混みの中でだ。お前は1対1のヒートばかりだ」。結果、シエイ・ロペスは27リッターくらいの板に乗った。私は36リッターくらい。もしあなたが計算できるならば、体重に対する比率が同じであることが分かると思います。シエイ・ロペスは非常に頭がいいので彼は今シェイプをしている(シェイパーになっています)。その後、Firewireのマイク・プライスは、ストックのボードにボリュームを記載し始めた。私はチームライダー全員のボリュームを見直していたときですが、彼はすでにストックボードへの記載をやり終えていました。それを見て「おお!いいね。私もやろう」と言ったのです。

DJ:あなたのもっとも大きな成功の一つは何だとお考えですか?

MB:古くは、ラウンドノーズフィッシュ。ラウンドノーズフィッシュの5’5″RNF-VIDEOは私たちを有名にしたと思っています。私たちはいまだに覚えています。ワールドツアーのトップサーファー達と一緒に取り組んだことも素晴らしかった。数年前にはコロヘのトップ34への上り調子も素晴らしかった。

DJ:明らかにボードはさらにどんどん洗練されており、トップサーファー達は1年に60本~70本のボードを手にします。彼らが好むもの、好まないものを見つ出すのに非常に苦労する点を挙げるならばなんですか?

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MB:非常に難しい点です。物事を横からずっと攻めてくる人が数名います。それはチャネル・アイランドとJSです、ダレン・ハンドレイもですね。私の一番大きな問題は1つに集中してしまうことだと思います。ディノ・アンディーノは、その1つの集中を私にさせてしまう一人でした。ディノは、ミスターフランケンシュタインです。彼は非常に本格的な人で、彼からのフィードバックは、ものすごい量です。彼は私がデザインするパターンや人生を非常に複雑にする人です。だが、彼のフィードバックは、とても信用でき、頼りになる、彼は私の全ての判定基準ですね。
彼の息子、コロヘは、人々が何と言おうと、鋭いコンペティタータイプです。カリフォルニアの他のサーファーとくらべても非常に稀なタイプです。彼は食うか食われるかというスタンス。もしカリフォルニアサーファーのレジェンド達を振り返ったとすると、フィル・エドワード、ミッキー・ドラ、トム・カレン、もしくはダン・レイノルドと並ぶことになるでしょう。

DJ:このような人たちをみて、どのような 枠に入る人物だと思いますか?
なぜ、カリフォルニアでのカルチャーをそう見るのですか?

MB:えっと、2点あります。1点は、前向きに言うと、非常に深いヒストリーとカルチャーがあります。我々はそのスタイル、ポイントブレイク、本当のサーフィンというサザンカリフォルニアのサーフカルチャーライフスタイルの中で育ちました。カリフォルニアのサーフィンスタイルは過去4年でファッションの領域へと転換しましたがね。サーフィンは、60年代、70年代、80年代、90年代でさえ、ただのスポーツではなかったのです。ケリー・スレーターが現れたあと、お金が動くようになりました。サーフィンがもっとスポーツよりになったのです。しかしオーストラリアをみると、サーフィンは当初から競い合うスポーツでしたけどね。彼らは、クラブで大会を開いたり、ライフセービングの大会、パドルの大会、その他いろいろと開催していました。ブラジルでのサーフィンは、本当にスポーツでした。カリフォルニアではサーファー同士が競い合うだけで、70年代、80年代、カリフォルニアにはプロサーファーがあまりいませんでした。

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DJ:シェイプのフォームをデザインしているときの一番いい時、
何があなたを一番ワクワクさせますか?

MB:新しいアイデア、新しいカーブ、新しいロッカーや新しいデザイン、とにかく新しいことを考えているときです。スイッチが入る瞬間ですね。私はいつも同じボードを作りたくないんです。

DJ:あなたがのボードをみんなが乗っていたり、またはカスタムオーダー世界トップシェアボードと言われていますが複雑な気持ちになりますか?楽しむための時間が十分にとれないなどどんな風に感じているのですか?

MB:私は自分の時間を作るようにしています。私のブランドが他のブランドとなぜ違うかを考えると、私は自分の時間を自分で作っているからだと思います。ワールドツアーを回る6名くらいを担当していたことがあり、彼らのために、全ての大会用のボードを私が作らないといけませんでした。私はそれが続けられず、ジュリアンを失い、ブレット・シンプソンを失いました。私は彼らだけにフォーカスすることが出来なかったのです。なぜなら、私は自分のやりたいこともやりたかったからです。例えば家族とカリフォルニアにあるマンモス山にスキーやスノボードをしに数日行きたかったとか。全てのをやりこなす時間はなかったんです。私はみんなに喜ばれるファンなボードを作りたかったし自分でサーフィンもしたかったのです。私はカリフォルニア育ちの男です。私はダレン・ハンドレイではない。彼らはただ競い合う動物のようなんですが、私は違う。私は別のタイプの方ですね。自身のチームと取り組む方がいいようです。クリス・ワードやコリー・ロペスなどと取り組んでいるときが私は調子がいいです。

DJ:他のシェイパーのアイデアを借りることもありますか?
MB:デザインに関してはありません。ビジネスに関しては、お互いで情報を交換するほど透明感がある関係ですね。私は多くのシェイパー達、オーストラリアのシェイパー達、MR、ハンドレイ、アメリカン・Tパターソンと密接な関係で働いています。ビジネスは如何に大変であるか、または素材や品質、経費のやりくりなどについて話すことがほとんどです。私たちはお互いを尊敬する関係ですね。何年もデザインについて多くを語っている人がいます。それはガブリエル メディーナのシェイパー、ジョニー・カビアンカです。ジョニーと私は非常に仲がいい友達で何時間も一緒に過ごします。いつでも一緒にコンピューターの前に座り、共にその時間を楽しみます。ジョニーは今もっとも過小評価されている人物でありシェイパーです、Tパターソンと同じですね、Tパターソンも過小評価されている人です。

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・マット・バイオロス サンクラメンテのグラス工場にてバイオロスはAKU-SHAPERを使用します。ハンドシェイプを約1時間行う前にこのカットマシンで約20-30分かけて大枠を削ります。

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・バイオロスからの新しいモデル、ポケットロケット。
コロヘ・アンディーノのアートワークデザイン。

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・マット・バイオロスは、出荷可能になったボードが保管される倉庫をチェックします。

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・マット・バイオロスは、今後数か月以内に新しモデルをいくつかリリースします。

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そのうちの1つは、新しいカーボンラップです。

オーストラリアのゴールドコーストで3月に行われる2016チャンピンシップツアーのキックオフにて、マット・バイオロスのボードの動きをチェックするのを覚えておいてくださいね!

このブログを書いたスタッフ

こんにちは西井です。 長年のプロサーファーとしてのノウハウと、カリフォルニアサーフインダストリーとの太いコネクションとLostのシェイパー"メイヘム”との20年を超えるリレーションシップによりLOST&Placeboサーフボードの正規輸入総代理店 「LUVSURF」 を東京都大田区で1996年からやっております。リニューアルされたWEBサイトでは毎日24’sブログを更新しておりますので、ぜひチェックしてください。